西華東燭 幻宴花楼

            *翠月華』宮原 朔様へ


     




ここは間違いなく吐火羅という街で、
厳密には我らが覇王の支配下の地域ではないながら、
天竺のお隣り、砂漠寄りの都市であるはずが。
彼ら、東域方面担当 弁務官殿とその補佐が二人の眼前へと広がった光景は、
そんな街であることなぞ吹っ飛ばし、
さながら、時空の狭間に迷い込んでしまったのではないかとの、
大いなる錯覚を起こさせるような。
そんなほどに桁違いの、正に異空間に他ならず

 「こ、これは…。」

それでなくとも、
今や東西世界をつなぐほどの大動脈、
別名“絹の道”と呼ばれてもいる長い長い旅程のうちの、
西寄りの主要な宿場とされる土地。
こういった地にはつきものな、
市場でにぎわう石畳の広場もあちこちにあり、
それはそれは活気に満ちた街だったはずが。
そこにだけは…何かしらの魔力でもかかっているものかと、
大の大人でも感じてしまうほど、打って変わった閑とした静けさに満ちており。
路地の突き当たりででもあったものか、
広々と開けた空間の正面には石作りの建物があるのみで。
しかもその建物には、どこから調達したものやら、
途轍もなく大きな段通が壁一杯に下がっている。
大きすぎて、最初は天幕かと思ったくらいだったが、
鮮やかな織り分けの真ん中、大きく浮かび上がる紋章の龍の姿に覚えがあり、

 「あれは…龍王の籏幟ではなかったか。」
 「うむ。」

龍斎
(りゅうさい)という名の 唐国の今上帝は、
こちらの官吏らの間では、既に“龍王”との通り名を冠してもおり。
というのも、
西とは風習や文化が大きに異なる、正に異国の東亜の国域では、
天に住まうという架空の動物、
龍や麒麟、鳳凰などが、王の権威を象徴してもおり。
中でも特に、水への支配から転じて雷や嵐までもを自在にする、
聖獣らの覇王とされる龍こそは、皇帝の御しるしとされる場合が多い。
伝書や何やにそのような飾りが多かった君なのでと、
まずは覇王がそうと呼び、
そこから大臣らまでもがそう呼ぶようになっていたのだが。
その龍を織り出した紋章の、紫紺の地のものや紅蓮の地のものなど、
棹の代わりか長大な鉾にまとわせた大小様々な籏幟が、
広々とした庭のあちこちへ立ってもいたが、
そこへと気づくのが遅れたは、その庭自体も異様な様相を呈していたからで。

 「…何ともまあ。」

誰の姿もない空間は、
日頃ならこの街の入り口近くにあったよな、
大規模な市場が開かれていただろう大広場。
そこを鮮やかな金の色彩として埋めていたのが、
ひなぎくという生花の鉢植えの群れである。
ほのかに赤みがかった黄色の花たちはどれも、
濃密な色合いの花びらが豊かに開き、
花にはあまり詳しくはないヒョーゴやゴロベエでも、
今時に、しかもこの土地で、
瑞々しい生花をこれだけの数で揃えるなぞ、
並々ならぬ手間暇と時間が要ったはずなことはようよう判る。

 「…まさか、本国から抱えて来られたのかな?」
 「ここで買いつけて間に合う数ではなかろう。」

旅程をきっちり計算し、此処へ着いたおりにこうやって飾れるよう、
全てを任され、構える係がいたのだろうよと、
口にしたヒョーゴとて、
それがどれほどの権勢もて出来ることかくらいは察しも出来て。

 “花鉢だけではないぞ。”

まずはとその鮮やかさに眸を奪われたものの、
それらは深紅の敷物、毛氈の上へ並べられていたことや、
大小様々な籏幟が居並び、
訪れた客人にあたる彼らを建物の中央へと導くように道を作っており、
そこにもまた、薄くはない段通が敷き詰められていたことへ、
やっと目が行き、それへの感慨はもはや…驚きの先、
どれほどの用意あっての完璧な支度かという、
事態への理解と感嘆へ移っている彼らでもあり。

 「龍斎様とやら、勘兵衛殿の周到さと張り合えそうだの。」
 「そのくらいでなければ、
  この距離を挟んだ相手へ同盟をなぞと言い出せはせぬさ。」

ゴロベエへの応じに、何とはなく不機嫌な声が出たのは、
忌々しいというのとも異なる、微妙な違和感を覚えたから。
これらは向こうの勝手な装いのようなもの。
特に警戒のいるような危険なことへつながっているとも思えぬし、
よって、何を見落としたって構わぬ筈が、
微妙に違和感を覚えてのこと、ついつい注意を払わずにはいられない。
そこまで神経質な自分ではなかったはずだが、と。
今度は苛立ちの原因が判らず、細い眉をしかめてしまうヒョーゴであったが。

 「ようこそ、お越しくださりました。」

凛と張った声がして、思考がふっと寸断される。
耳障りな甲高さではなくの、それは自然な張りを保った むしろ美声で。
勝手に踏み込んでもいいものか、
花と段通が敷き詰められた広場を前に立ち尽くしていたこちらの一行へ、
柔らかな視線を向けておいでの、人物ひとり。
いつの間にそこへ居やったか、すらりとした肢体の人物が、
正面の戸前へと立っているではないか。
幾重か重ねた絹だろう衣紋は、
たもとという遊びのついた袖長な衣を、
衿元を左右から交差させて着た上へ、
袍という前合わせの外着を着、
腰には長綬と呼ばれるベルトを回しての、
それとは別に、宝石を連ねた飾り佩を脇へと提げた、
一応は礼装らしき装いの人物で。

 「ご使者殿、ご一行かとお見受け致しますが。」

紡がれたのは、淀みのない滑舌の、こちらの国の言葉でのご挨拶であり。
とはいえ、黒い髪に細身の肢体は、どう見ても東方からお越しのお人としか思えぬし。
しかも、すべらかな頬は白く、
やや吊り上がった、だが、潤みの強い表情豊かな双眸に、
愛想よく笑みを含んでいた緋色の口許なぞは、
何とも蠱惑的で麗しく。

 “…いや待て。”

東洋の仙女、お伽話に出てくる天女のようなと思ってしまった自身へ、
おいおいと制止の声をかけたものの、

 「…これはしたり。うっかりとお女中扱い仕掛かるところでござった。」

すぐ傍らから、ゴロベエがそんな声を上げ、あっはっはと豪快に笑ってくれて、
何とか我に返れた、黒髪の東域担当弁務官殿。
屋内に入ってからの案内ならいざ知らず、
まずはのご挨拶の口上もかねての、しかも外国(そとくに)の土地での顔見せに、
喩えそれが女官でも、いきなりご婦人を出しはすまい。
女性には危険な大役だからというよりも、
宗教や風習によっては相手への不敬にあたりかねぬからで。
腰には勇ましい大太刀を帯びてもおいでのその人物、
ゴロベエからの声へ ふふと口許だけで鷹揚に頬笑むと、

 「お気になさいますな。」

けろりと言い放ったそのまま、舞いの所作事のようななめらかさで、
片側の腕を腰の高さにまですらりと持ち上げて、
さあさと誘うような所作を見せ、

 「私はこたびの勅使の護衛を務めます身。銀龍と申す者でございます。」

こちらの言葉も学んだのですな、大したものだ。
いえ、私なぞより御勅使様の方が、それは達者にお話になれますよと。
今度こそ、その優しい造作のお顔をほころばせ、
花のように嫋やかに、心から微笑って下さったのだった。


     ◇◇◇



 「ご当地の風習が気に入らぬというのでは決してありませぬ。
  ただ、こちらにてのご対面を果たす上で、
  下手に皆様の真似なぞしても、
  見苦しいばかりではなかろうかと思いましての、この装い。」

護衛官殿からとうとうと語られるその言には、
成程と合点もゆくこちらの二人。
それはそれは手の込んだ刺繍や目の詰んだ絹の衣紋に、
繊細な彫金細工の装飾品などなど。
行ったことはないながら、
唐の国の王宮はきっとこのように豪奢なのだろうなと十分思わせるだけの、
見事さなのが…そう、微妙に目に目映すぎて。
違和感のようなもの、若しくは落ち着けない緊張感のようなものを、
なかなか拭えなかったヒョーゴだったのは。
いつの間にか、自身があの覇王の代理人としての自負を固めており、
揚げ足取りではないながら、それでも、
こちらのあれこれがどこを見やっても完璧に行き届いており、
至れり尽くせりであればあるほどに、
これに勝る用意をせねば張り合えぬと、
気持ちのどこかでそんな逼迫を感じてしまったせいもあるらしい。

 『ヒョーゴは、冷静沈着に見せて、実は負けず嫌いなところがある』

選りにも選って、キュウゾウ妃からそのように評されるのは、後日の話だが。
そのような、一種 敵愾心のようなものを沸かせてしまったほどに、
ここが彼らの国、東の果ての唐国のようにさえ思えるほど、
それはそれは麗しくも非の打ちどころなく整えられていたのは、
だが、何もこちらの権勢への対抗心とかいうものではないようで。

 「御勅使様。
  西の覇王様が派遣されし外交使、
  弁務官殿お二方、こちらへご案内申し上げました。」

しずしずと通されたのは、
本来ならば窓を刳り貫かれてあるはずの回廊を通った、奥向きの広間であり。
万が一の狙撃や襲撃を恐れてのことか、壁にはやはり段通を下げてあるため、
ここもまた異文化の趣きが強い空間にしか見えず。
そんなこんなと内部まであちこちをいじったらしい石作りの家屋は、
これも後で判ったこと、この街でも大きめの宿を、
彼らが金塊を積んで一軒丸ごと借り切った代物であったらしかったが。
この地の建造物だという香さえしない徹底した改造ぶりが、
あっけらかんと拭われた後は、面影さえ残さずで。
その見事な改造っぷりと復元のさま、
伝説の“まよひが”を見るようだったと土地の長老が長く語り継いだとかどうとか

  ……とかいう後日談も 今はともかく。

広間の奥向きには段差を設け、御主のおまし座を据えて。
こちらも広々とした大広間には、回廊とは打って変わり、
桟敷のような二階の廻り回廊へも手を入れられてあってのこと、
窓という窓、大戸という大戸を大きく開け放ち、
光と風を招きいれての、それは明るく清かな空間になっている。
そんな謁見の間に通され、
ヒョーゴとゴロベエの二人を導いて来た白皙の護衛官殿が、
ゆったりした所作にて片膝をつくと、
案内して来た顔触れを自分の主へと紹介したのだが。
あくまでも、こちらへも意が通じるようにという取り計らいを徹底させて、
こちらの言葉での会話を続けなさる護衛官殿の声へ、

 「初めてお目にかかります。」

返された声もまた、凛と涼やかに澄んだそれ。
東方ではやんごとなき身分の存在は、神の子と等しいとされ、
人々にはその姿さえ…御簾越しの影しか見せないと聞いたことがあり。
あまり不躾に見やるのも無礼かと、ついつい視線を下げていたヒョーゴだったが、

 “…お。”

挨拶をされたのだからと、おまし座におわした存在を真っ直ぐ見やったその途端、
それは幼い少年がおいでなのへと まずは吃驚。
青みをおびた銀の髪なのは、何かの魔よけに染めでもしたか。
それが、だが、さして違和感に映らぬは、
それは整った、端正繊細なお顔をなさっておいでだからで。
まだまだ子供の域を出ない部分も多かりしの、
か細い四肢やら首条やらの可憐さを、
されど、凛々しい眼差しの知的な冴えが、
しっかと補佐しての頼もしくさえある少年で。

 「龍魅様、こちらのお二方こそは、
  西域が覇王様のお遣わしになられし、弁務官の方々でございますれば。」

にこりと微笑って双方を引き合わす、
案内役の護衛官殿にも、どこか似ておいでの麗しさ。
東方の知的な美人というのは、揃ってこういう面差しになるものなのかと、
ついつい感じてしまったヒョーゴ殿だったそうな。



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